大判例

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大津地方裁判所 昭和44年(ワ)84号 判決

原告

竹本宗只

右代理人

吉原稔

外九名

被告

大日本印刷株式会社

右代表者

北島織衛

右代理人

和田良一

外八名

主文

一、原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

二、被告は、原告に対し昭和四四年四月一日以降本判決確定に至るまで、毎月二八日限り一か月金三三、五〇〇円の割合による金員を支払え。

三、原告その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その一を被告の各負担とする。

五、本判決主文第二項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

一、原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

二、被告は原告に対し、金二、〇〇〇、〇〇〇円及び昭和四四年四月一日以降毎月二八日限り、金三三、五〇〇円の金員を支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、第二項につき仮執行の宣言。

(被告)

一、原告の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

三、仮執行免脱の宣言。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、当事者

(一) 被告は、肩書地に本社を有し、総合印刷を業とする株式会社である。

(二) 原告は、昭和四〇年四月一八日滋賀大学経済学部に入学し、同四四年三月一八日同大学同学部を卒業した。

二、採用内定とその取消に至るまでの経緯

(一) 被告は、昭和四三年六月頃、滋賀大学に対し翌四四年三月卒業予定者で被告会社への入社希望者の推せんを依頼し、かつ募集要領並びに、被告会社の概要、入社後の労働条件等を紹介する文書を送付して、右卒業予定者に対して求人の募集をした。

右文書によれば、被告会社の概要については、創立年月日、経歴、資本金、役員構成、従業員数、売上高、利益高、事業内容、事業所、関係会社、取引銀行等が記載され、入社後の労働条件については、初任給(基本給)は未定だが昭和四三年度は一か月二九、五〇〇円、昇給年一回、賞与年二回(昭和四二年度下期実績平均一人一〇四、〇〇〇円)、交通費会社負担、職服夏冬支給、配属先は原則として大阪事業部、京都事業部等関西関係の事業所、配属職種は営業部門、印刷作業進行部門、工場の管理部門、デザイン企画部門その他、勤務時間、休日休暇、福祉厚生等詳細に記載されていた。

募集要領としては、応募資格、推せん要領、選考期日、方法の他に、提出書類として履歴書、写真、戸籍謄本、成績証明書、卒業見込証明書、推せん状の提出を求める旨記載されていた。

(二) 原告は、右の各文書を熟読、検討して被告会社に応募することにし、大学の推せんを受け、前記の提出書類を被告に送付した。

滋賀大学においては、学生の就職あつせん、就職先への推せんについて、他のほとんどの大学が行なつているように、従前からいわゆる「二社制限、先決優先主義」をとり、推せんについては二社以上に対して推せんをなさず、かつ、右二社のうちいずれか一方について採用が決まれば、他の一社に対する推せんを取消すという方法がとられ、このことは、被告も知つていた。滋賀大学は原告を右方法により推せんしたものである。

(三) 原告は、被告の指示により同年七月二日筆記試験、適性検査を受け、かつ、同日、氏名、生年月日、本籍、現住所、大学名、家族構成、志望理由、志望職種、志望勤務地、団体所属、経歴等を記載した身上調書も作成し、提出した。同年七月五日、面接試験および健康診断をうけた。

(四) 原告は、被告から同年七月一二日に電報で被告会社に採用内定の通知を受け、翌一三日に同月一二日付の同旨の通知書を受領した。その頃、被告から滋賀大学に対しても右同旨の通知がなされた。

被告は、原告に対し右通知書と同封して誓約書用紙(乙第二号証)を送付し、同年七月一八日までに誓約書の提出を指示したので、原告はこれに従つて右期限までに右誓約書を被告に送付した。誓約書の内容は次のとおりのものである。

「この度御選考の結果、採用内定の御通知を受けましたことについては左記事項を確認の上誓約いたします

一、本年三月学校卒業の上は間違いなく入社致し自己の都合による取消しはいたしません

二、左の場合は採用内定を取消されても何等異存ありません

① 履歴書身上書等提出書類の記載事項に事実と相違した点があつたとき

② 過去に於て共産主義運動及び之に類する運動をし、又は関係した事実が判明したとき

③ 本年三月学校を卒業出来なかつたとき

④ 入社迄に健康状態が選考日より低下し勤務に堪えないと貴社において認められたとき

⑤ その他の事由によつて入社後の勤務に不適当と認められたとき」

原告は被告会社の他に訴外ダイキン工業株式会社の求人に対しても応募していたが、前記の通知書受領後直ちに右訴外会社に対し応募を辞退した。

同年一一月二〇日、被告は原告に対し被告会社の近況を記した書面と小冊子「大日本印刷」を送付し、これを熟読するように指示し、かつ、原告の近況報告書を提出するよう求めたので、原告はこれに従つてその頃近況報告書を提出した。

(五) 被告は、原告に対し昭和四四年二月一二日付書面によつて、前記の採用内定を取消す旨通知してきた。右通知書には取消の理由は何も記載されず、その後原告は、被告に対して再三取消理由の明示を求めたが、被告はその理由を示さない。〈中略〉

理由

一、被告が肩書地に本社を有し、総合印刷を業とする株式会社であることは当事者間に争いなく、原告が昭和四〇年四月一八日滋賀大学経済学部に入学し、同四四年三月一八日に同大学同学部を卒業したことは、〈証拠〉から認められる。

昭和四三年六月頃、被告が滋賀大学に対し翌四四年三月卒業予定者で被告会社へ入社を希望する者の推せんを依頼し、かつ、募集要領、被告会社の概要、入社後の労働条件等を紹介する文書を送付して右卒業予定者に対して求人の募集をしたこと、原告が大学の推せんをえて被告の右求人募集に応じ、昭和四三年七月二日(筆記試験、適性検査)と同月五日(面接試験)に被告会社の採用試験を受けたこと、同月一三日に被告から原告に対し被告会社の採用試験を受けたこと、同月一三日に被告から原告に対し被告会社に採用することを内定した旨の書面による通知がなされたこと、右通知書に同封して送付された誓約書用紙に原告は、所要事項を記載して、被告が指定した同月一八日までに被告に送付したこと、その後、被告は、原告に対し昭和四四年二月一二日付書面によつて、右採用内定を取消す旨の通知をしたことは、当事者間に争いない。

二、〈証拠〉並びに前記争いない事実を綜合すると、

前記、被告より滋賀大学に対し、求人募集があつた当時において、原告は、既に大学から配付された資料、その他被告から送付されて来た募集要領、これに基づいて大学が作成して張出した求人票等によつて被告会社の内容の概要、その一般的な労働条件、(その内容は請求原因第二項(一)に記載のとおり)ことに昭和四三年度に入社した大学卒の従業員の初任給が一か月平均金二九、五〇〇円であるから四四年度に入社する原告らの給与も右を若干上廻るであろうこと等を認識して被告の求人に応募する決意をし、大学に推せんを頼んだ。

滋賀大学は、他の多くの大学が採用しているように、就職について大学が推せんをするときは、二つの企業に制限し、かつ、そのうちいずれか一方に採用が内定したときは、直ちに未内定の他方の企業に対する推せんを取消し、学生にも先に内定した企業に就職する(二社制限、先決優先主義)ように指導を徹底し、推せんを求める各企業にもこのことを通知し、内定が重複することによつて生じる企業と大学または学生との間の紛争を回避するように努力し、このことは昭和四三年以前から実施され、原告を被告に推せんしたのも右の原則の下になされたものである。

原告は、昭和四三年七月二日に筆記試験と適性検査をうけ、かつ同日に身上調書(その記載内容は請求原因第二項(三)記載のとおり)を提出した。原告は右試験に合格し、被告の指示により同月五日に面接試験と身体検査を受けた。

その結果、七月一三日に文書でもつて採用内定の通知を受けたので、原告としては、これで特別の事情のない限り被告会社に採用されるものと信じ、大学にもその旨報告し、かつ当時大学より推せんを受け求人募集に応募していた訴外ダイキン工業株式会社への応募を辞退し、大学も右訴外会社に対する推せんを取消す手続をとつた。

原告は、右採用内定の通知書に同封して送付された来た誓約書(その内容は請求原因第二項(四)に記載のとおり)に所要事項を記入し、被告が指定した七月一八日までに被告に送付した。このようにして、原告としては、翌四四年三月に大学を卒業したときは、当然に被告会社に就職できるものと信じ、その後昭和四三年一一月頃に被告から送られて来た被告会社の近況報告その他のパンフレットも読み、かつ被告から指示のあるとおりに原告の近況報告書(その内容は、卒業が近づき卒業論文の作成に励んでいること、社会人としての生活に入るべく日頃の生活を律していること、学生運動に対する感想等)を作成して送付した。

ところが、昭和四四年二月一二日頃に、突如として被告から原告に対し採用内定を取消す旨の通知があり、しかもその理由も示されていなかつた。

原告としては、前記のとおり被告から採用内定を受け、被告会社に就職できるものと信じ、他企業への応募も取消しており、かつは、取消通知のあつた時期が遅れている関係から他の相当な企業への就職は事実上不可能となり、更には取消の理由も示されていなかつたので、大いに驚き、大学の係教授等を通じて被告と交渉したが、何らの成果もえられず、他に就職することもなく、三月一八日に卒業するに至つた。

事実を認めることができる。

三、〈証拠〉によると、原告と同時期に被告会社に応募した大学卒業予定者に対する採用試験については、被告会社の大阪事業部においては取締役広野正澄が主宰していたが、同事業部の関係では採用内定者のうちから辞退者の出ることを予想して二〇名位を採用内定する計画で、七月五日の面接試験には約五〇名のものを受験させたが、内定者を決定する段階で約三名の不足があり、このため広野の部下(総務課長)の進言もあつて当初不採用の予定であつた原告を採用内定することにしたこと、被告会社ないし広野としては、採用内定はあくまで内定であつて、更に調査を補充した上で最終的に正式に採用する者を決定することとし、原告に対する調査をしている段階で原告が被告会社の従業員として不適格であると判断し、前記のように採用内定を取消したものである、ことが認められる。

四、右のように、企業が大学の新卒者を雇用するについて、早期に採用試験を実施して採用を内定するような方式は、わが国において広く行なわれているところであり、これは、終身雇用制度の下における企業間の優良な従業員獲得競争の結果であり、一方においては、企業は、一応確保した者に対してなお調査を補充して従業員採用についての危険を無くしようと意図しているものであることは、〈証拠〉によつても認められ、また公知の事実でもある。したがつて、本件においても、被告が前認定のように、採用内定を採用の決定(労働契約の成立)と区別して取扱うことも首肯できる。

しかし、一方、大学の新卒者にとつては、自己の希望する大企業に就職することが必ずしも容易でないことは、各企業が採用試験を行ない、本件においても被告が前記のような採用試験を実施していることからも容易に窺うことができ、かつ、右のように各企業が早期に採用者を内定する方法をとるときは、その段階で採用の内定を受けないと、大企業に就職する機会さえ失うおそれがあり(このことは、〈証拠〉によると、滋賀大学経済学部においても、原告と同じ昭和四四年三月卒業予定者のうち、大学の推せんを受けた者については、同四三年六月から同年七月初旬にかけてほとんどの者の就職が内定し、それ以後の就職決定は無かつたような事情が認められること、現に本件においても、前記のように原告は内定取消以後においては就職しえなかつた。)、このようなことから、学生を推せんする大学は前記のような二社制限、先決優先の方法をとり、採用内定者としては、内定を受けることによつて、就職が決定したものと考えるのも無理のないところである。

このように、採用者側と被採用者側との間に、採用内定の性質、効果等に対する認識について差異があり、本件において、原告としては内定によつて就職の決定――労働契約の成立――と思つていたとしても、被告としてはそのように考えていなかつたのであり、かつ、その当時においては、原告はなお大学の学生であつたこと、また、甲第一号証の採用内定通知書において、被告は「採用を内定致しました」と「内定」なる文字を用いて決定と区別した表現をしていること等からして、右採用内定の通知によつてただちに労働契約が成立したものと解することは困難である。

五、しかしながら、〈証拠〉によると、これらの書面は、被告から原告に対し昭和四三年一一月二〇日付で送付されたものであるが、その「近況報告について」と題する書面には「来春から貴君には当社の営業部門……管理部門において十分に持てる力を発揮していただくわけですが、あらかじめ大日本印刷株式会社についての理解を深めていただきたいと思い、大日本印刷株式会社の近況』と『産業フロンテイア物語』を同封いたしますので熟読しておいて下さい。……入社までの予定については別紙に付記しておきましたが、健康には十分注意して卒業まで悔いのない充実した学生生活を送つて下さい。云々」との記載があり、右の「大日本印刷株式会社の近況」には、被告会社の近況とともに入社までの予定、入社日等について詳細に記載されているのであり、これらの書面によれば、被告としては、原告を単なる採用予定者、すなわち、来春に労働契約を締結するであろう者としてではなく、原告が大学を卒業したときは、当然に被告の従業員となるものとの意識のもとにこれを取扱つていたものということができる。

更に、〈証拠〉によると、

被告会社の昭和四四年度新入社員(大学卒)については、同年三月初旬に入社式の通知がなされ、同時に健康診断書の提出が求められた。右入社式は同年三月三一日に大学新卒の採用者全員が東京に集められ、入社式典が行なわれ、式典は一時間余りで、社長の挨拶、先輩の祝辞、新入社員の答辞、役員の紹介、社歌の合唱等がなされた。式典に集まつた新入社員は、その日、式典終了後に学校の卒業証明書と最終学年成績証明書、家族調書並びに試傭者としての誓約書を提出した。式典後、新入社員は東京で約二週間の導入教育を受けた後、被告会社の各事業部へ配置され、若干期間の研修の後にそれぞれの労務に従事した。そして、被告会社の定める二か月の試傭期間を過ぎた後の同年六月下旬に、更に本採用者としての誓約書を保証人と連署して提出し、社員としての辞令書の交付を受けた。被告会社においては、大学新卒の新入社員に対しては、昭和四四年度の前後を通じて、大体右と同様な方法で本採用の社員として身分を取得させていた。

事実を認定できる。

右の事実からすると、採用内定者が被告会社に入社(試傭者として)する経過において、採用内定の通知とこれに対する誓約書の提出以後には、双方から何らかの特別な意思表示がなされたわけではない。仮に、入社式後になされた試傭者としての誓約書を徴する行為とこれを提出する行為を捕えて契約(試傭労働契約)の成立とみるならば、その事前に行なわれた入社式典の意味を如何に解すればよいのか。以上のようなことは、被告においても、採用内定者は、内定が取消されない以上は、大学卒業後において当然に被告会社に入社(試傭者として)するものと意識し、現実にそのように取扱つていたものということができる。

このようなことから、採用内定が将来労働契約を成立させる予約ともいうべきもので、労働契約成立のためには、更に別個の意思表示を必要とする、との被告の主張も採用しえない。

六、以上説示の各事実を合わせ考えてみると、本件においては、被告から原告に対する採用内定の通知をなし、原告から被告に対し誓約書を提出した段階において、将来の一定の時期(入社日・原告の大学卒業後で昭和四四年三月末日頃が予定されている)に、互に何ら特別の意思表示を要することなく、原被告間に試傭労働契約を成立させるとの合意、いわば採用内定契約ともいうべき一種の無名契約(以下便宜上、採用内定契約という。)が成立したものと解するのが相当である。

もつとも、採用内定の段階においては、その基礎にある将来の試傭労働契約の内容、労働条件等については、不確定の要素の多いことは否定しえないけれども、そもそも労働契約そのものがいわゆる附合契約たる性質を有するものであり、労働者は使用者の定めた契約内容、労働条件に従つて労務を提供することを約する性格のものであるから、採用内定の段階で、以上のことが若干不明確であるからといつて、右のような契約の成立を否定する論拠とはなし難い。

七、ところが、昭和四四年二日一二日、被告は採用内定契約を取消した。採用内定契約が採用内定の取消ということを当初から予定していたものではあるが、その取消は当然に契約の失効を招くものであるから、取消が何らの制約もなく全く自由にできるとするときは、契約はその意味を失うことになる。その取消は、採用内定契約の性質、目的からして何らかの合理的理由に基づくことを要することは、理の当然である。

本件においては、採用内定の段階で、被告の指示により原告が差出した誓約書に、「一、本年三月学校卒業の上は間違いなく入社致し、自己の都合による取消は致しません。二、左の場合は採用内定を取消されても何等異存ありません。①履歴書身上書等提出書類の記載事項に事実と相違した点があつたとき(②ないし④は省略)⑤その他の事由によつて入社後の勤務に不適当と認められたとき」との記載がなされていることからして、原告としては自己の一方的都合によつては取消をなさず、一方被告が右の①ないし⑤の事由により取消すときは異議を言わないことを明示しているのであり、換言すれば右①ないし⑤の事由は被告側の取消事由の列挙というべきである。

もつとも、このように解するときは、被告――採用者側は取消事由を制限され、これに反して取消をしたときは、原告――採用内定者側から取消が無効であるとして責任を追求されるのに対し、原告――採用内定者側の不当な取消(採用辞退)については、被告――採用者側が相手の責任を追求することが実質上不可能であつて、不公平であるとの論もあろうが、そもそも採用内定契約なるものが、労働契約を前提とし、これと不可分の性質を有するものであることは、上来説示により明らかであり、通常の労働契約においても、使用者が解雇する場合と労働者が自己の一方的都合により退職した場合とでは、実質的には責任追及に差が存するのであり、労働者に退職の自由がある以上、採用内定の場合においてもこれと同様である。しかも、右①ないし⑤の事由が取消事由の限定列挙であるとしても⑤の「その他の事由によつて入社後の勤務に不適当と認められたとき」というが如きは、その解釈如何によつては取消事由が無限に広がるおそれさえあり、このような場合には前説示のように採用内定契約の性質、目的からして合理的と認められる範囲に限られるべきであろうが、少なくとも、被告――採用者側にとつては、右のような取消事由の制限が特に不利益をもたらすものとは考えられない。

八、そこで、被告のなした採用内定取消の事由について考えるに、被告は、本件においてその取消事由については、前記誓約書の第二項①ないし⑤のいずれかの事由によるものであるというのみで、その具体的事実、理由を主張せず、ただ、被告会社大阪事業部において、当時、大学新卒予定者採用に関する事務を主宰していた前記広野正澄証人が「原告は面接試験における印象が悪く、陰うつ(グルーミー)な性格と感じたことから、当初は採用内定者に入れなかつたところ、前認定三のような事情の下における部下の進言もあり、原告が滋賀大学体操部のマネージャーをしていたことから、案外積極性があり明朗であるかもしれないと考え採用を内定するに至つたが、その後の調査により、右大学体操部の実体が広野らの期待していたような積極的な鍛練をしているものでないことが判明したので、原告に対する採用内定を取消した。」との趣旨を証言するのみである。

採用内定によつて、前説示のような契約が成立していると認められるときは、何らの合理的な理由もなくこの契約の効力を失わせる採用内定の取消を行なうことは許されず、また、その取消の理由が仮に前記廣野証人の証言どおりであるとするならば、その理由自体が不合理なものであるといわざるをえない。

他に、被告が原告に対する採用内定を取消した合理的な理由は、これを発見することができないから、被告は取消すべき理由なくして右採用内定を取消したものであり、その取消の意思表示は効力を生じないものと断ぜざるをえない。

九、そうすると、前記採用内定契約に基づいて、被告会社の昭和四四年度新入社員の入社式の行なわれた同年三月三一日頃に、原告と被告との間に労働契約(ただし試傭労働契約)が有効に成立し、遅くとも同年四月一日以降は、原告は被告会社の従業員(ただし、試傭者)たる地位を取得したものというべきである。

原告が右期日以降被告に対し労務に服する旨申出るのに、被告が原告は従業員でないとしてその就業を拒否していることは、〈証拠〉や弁論の全趣旨から明らかである。したがつて、原告は被告に対し右期日以降の賃金債権を有し、その額等については、前説示のような労働契約の附合契約性、証人近藤幸雄の証言によつて認められる、昭和四四年三月大学新卒者の被告会社における同年四月一日以降の賃金が一般に毎月金三三、五〇〇円であり、これが毎月二八日に支払われている事実からして、毎月二八日限り支払われるべき一か月金三三、五〇〇円と認めるのが相当である。

一〇、次に、原告の慰藉料請求について考えるに、被告が正当な理由なくして原告に対する採用内定を取消したことによつて、原告は大学を卒業しながら他に就職することなく、本件訴訟を提起し、維持したことについて、相当な精神的苦痛を重ねて来ていることは推察するに難くないが、本訴において原告の主張が容れられ、就職時以降の賃金相当額の支払いを受けるときには、その精神的苦痛も一応は治癒されるものと解すべきである。その他に、被告が労務の受領を拒否したことによる精神的損害なるものは通常考えられず、また賃金支払債務不履行による損害は、民法四一九条による遅延損害金以上に容認することはできない。他に、原告に対し特に慰藉料請求を認めるべき合理的理由もないから、原告の慰藉料請求は理由がない。

一一、以上説示したとおりであるから、原告の本訴請求中、被告の従業員(ただし試傭者)としての地位を有することの確認を求める点と昭和四四年四月一日以降一か月金三三、五〇〇円の賃金の支払いを求める部分は理由がある。ただし、右賃金請求は、一部将来の給付を求めるものであるところ、本判決が確定して原告が被告会社の従業員たる地位が定まれば、その時点においては、被告の任意の履行を十分期待でき、その可能性もあるわけであるから、判決確定時以後の分についてまで、現時点において将来給付の請求を求めることは理由がない。したがつて、賃金支払請求は判決確定時までの分を認容し、それ以後の分を棄却する。また慰藉料請求は理由がないから棄却する。

よつて、仮執行宣言につき民事訴訟法一九六条を適用し、なお被告申立の仮執行免脱宣言は、本件においてはこれを付さないのが相当であると認め、訴訟費用の負担につき同法九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(石井玄 上田豊三 木村修治)

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